心の闇との協和

 人間、誰しも闇を抱えています。マナーというのはある意味でお互いを害さないという協定のようなものなのかもしれません。

こういうことを言うとある種の方々にひどく反発されます。

自分が闇を抱えているという自覚がないままに生きられる人間はある意味で幸せなのかもしれません。知らなければ悩むことも、恐れることもないのですから。自分の闇によって人を傷つけていることに悩むうちはまだまだ良心的なのかもしれません。

 

少なくとも私は自己防衛のためになるべく世間的に良心的といわれる行動をしようと思っています。それがこのホームページの冒頭にある「小心者」の意味です。

自己防衛のブレーキは守るべきものがあればあるほど強くなります。でも、それにも限界というものがあります。自己防衛が根にあっての「良心」なので、本人が弱ってくるとそのタガが緩んできます。それを世間では「自暴自棄」と呼びます。

 他人弄りというのはある種の快楽があると思います。ただ、絶対に反撃しない相手というのはいないでしょう。

 

まあ、私は2ちゃんねるについては「参加者が闇をぶちまけるところ」として協定が結ばれている場所だと思っていますけどね。現時点においては実社会に実害を出す内容でないと抑えるのは難しいでしょうし、逆に抑えないほうがいいと思います。

まるっきり闇を出さずにいられる人間はほぼいないでしょう。そういう場所があるからこそ、他の場所の闇が薄まっているという気がします。

かつては「不特定多数が見ることができる場に闇を出すのはどうも好きになれない」と思っていました。でも、今はむしろ肯定的です。一人で闇を抱えているより、お互いに闇を出すという協定を結んだ場所で仲間と吐き出したほうが、闇が暴走するのを防げるのではないでしょうか。自分が悪口を言われても見なけりゃ済みますし。

 

こういうことを書くと「個人サイトが闇を吐き出すのも自由だろ。今まで書いてきたことと矛盾していないか」と言われそうですけどね。昔から自由だと思っています。ただ、「私も何かを感じ、表現してもいいよね」というだけです。

「はるのネット一人旅」トップへ オリジナルテキスト目次

39.サイトを更新しつづける 41.恋愛遺伝子〜「恋多き人々」「縁遠い人々」