悪口・陰口について

 「人の悪口を言ってはいけません。悪口を言うような人間の言うことは信じる方がいません」と言われて育ちました。

 成長するにつれて、そんなの綺麗事だと思うようになりました。

 

 悪口の内容が広がるかどうかは、発言した方の信用性に関係がないような気がします。内容そのものを信用するかどうかはさておき、気晴らしの噂話として広がっていきます。そして、耳にした本人が傷つくのは信憑性に関係がありません。周囲がそう思っているかどうかはわかりにくいものですから。本人が気にして話題にすればするほど面白がられてしまうところがあります。

悪口を言いまくる方が心の底から好かれているかわかりません。でも、「悪口を言わないほうがいい」などという堅物よりも賑やかに過ごしているような気がします。

悪口は言った者勝ちだよなという気がしました。

 

 ただ、聞いている側としては誹謗中傷としか思えない悪口については仲間内だけで話してほしいと思います。

 利害関係があり、事実に基づく内容である場合は、賛同するかはさておき、納得するものが多いです。でも、利害関係がないであろう相手に言う悪口は単なる言いがかりというのでしょうか。世間的に劣っていると評価される要素をこじつけた人格否定表現が多くなります。完全な人間はいないので悪口を言われている当事者でない人間が傷つくこともありえます。

 

「そういう人は何もできないから気にすることない」

悪口を好む方々はそう思うかもしれません。そういう弱い人間は嘲笑の対象になるのでしょう。ただ、傷つけられた人間は悪意を抱くようになり、利害関係ができることになります。

そして、前記のとおり、利害関係のある人間が事実に基づいて言う悪口というのは納得される可能性が高くなるものです。

 

直接的な利害関係がなくとも負の感情が湧くことがあるのは否定しません。でも、発散する場合にはなるべく安全に行ったほうがいいと思います。「元々どうでもよかった人間」を刺激して、わざわざ敵にする必要もないですし。

同じ趣向をもった方々で楽しむとか。仲間と思っていても意外と裏切られたりするのが厄介なところですけどね。

 

 「人の悪口を言ってはいけない」

 

 なるべく自分に被害が少ない形で感情を発散するのは、ある程度、人生経験を積んだ大人でも難しいことです。人生経験が少ない子供にはなおさらのことでしょう。その方法を説明するのも難しいので、わかりやすく被害を避けるとなるとこのようになってしまうのかもしれません。

でも、子供のうちから試行錯誤して、実感としてわかるほうがいいのかもしれないという気もします。

 

追記 2004.9.11

 少々反響がありました。

 「闘わないで愚痴っているだけではダメだ。自分はねじふせている」というような内容で書かれている方もいました。

 私の場合は「実害がないようなら気が向くままに適当に。実害がありそうだったらそれなりに対処する」というカンジでしょうか。

 友だちづくりに励むというのなら、ケンカしている姿を見せないほうがよいのではないか。事情がわからない人間が見たら不快に思い、友だちづくりの妨げになるのではないか。というご意見をいただいたことがあります。

確かにどんな理由があれ、争う姿というのは不快感を与えることになるのは事実です。ただ、どんな状況であっても聖人君子であることを望むような方々とは友だちになれません。

あまり感情を抑えると「都合のいい人を求める方々」を呼び寄せてしまいます。一方的に求められるだけでは疲れてしまいますので、不利であっても本当の姿をさらけだしたほうがいいのではないかと思うようになりました。

感情がある人間であり、怒ることもあれば、バカをやらかすこともたくさんある。というやつですね。

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