無駄な努力はない

 私は就職が決まるまであまりアルバイトというものをしていませんでした。と書きました。不思議に思った方もいるかもしれません。

え、大学生はアルバイトして、遊びまくるんじゃないの?

 私もそう思っていました。四年間、遊びまくるつもりでした。教科書を見るまでは。

 

受験のプレッシャーに負けて、推薦が取れそうな中で知名度がある大学という理由で選んだ経済学部。はっきり言ってまったく興味がありませんでしたが、何とかなると思いました。

今はかなり状況が変わってきたようですが、大学受験というのは「興味がないものでも一生懸命に取り組むことができるか」の目安になると思います。特に科目数が多いセンター試験のある国立大学については全部の科目に興味がある方々はまずいないだろうと思います。

 

人間、誰しも興味があるものには真剣に取り組めるものです。でも、興味が沸くものだけに当たるとは限りません。特に仕事については。そんな時にも努力できる資質があるかの目安に学歴というのは使われているのではないかという気がします。

 

でも、教科書を見て思いっきり後悔しました。実は数字に弱くて、数式やグラフを見ると拒絶反応を起こすような人間です。

小心者の私は四年間できちんと卒業できるか不安になりました。

そこで出席すれば最低限単位は取れるといわれる授業を中心に選択し、きっちり授業に出ていました。残りは法学などとにかく数字を避けてみました。

 

当然、授業は点々ばらばらの時間。アルバイトをみつけるのは困難です。ついでに遊びに誘われても授業があるから、アルバイトしていないのでお金がないからなどという人間ははっきり言って浮きます。本当に学問に興味があるからという方々とも違うので。

結局は初志貫徹する道を選びました。どうしても成功して見返してやりたいという思いがあったので。もう会わないだろう方々への意地よりも、今いる方々と新たな道を選んだ方がいいのではないかという気もしないでもないのですが。

 

大学に行ったことがある方なら「語学は八単位中七単位が優で、一単位が良」というとその人間性がわかると思います。(出身校ではこういう表示ではないけどイメージしやすいように)

とある語学の教授は最後の授業で二名の名前を上げて、言いました。

「全出席の君たちはテストの点に六十点加算します。(この時点で単位取得は決定) 君たちは社会に出て成功するでしょう。今後、能力的に劣っていると思ってもまったく気にする必要はありません。充分にカバーできます」

 うち一人が私です。

 

 就職のときに不況にぶち当たり、思いました。就職には景気の影響のほうが大きい。景気がいいときに就職したほうが利口だったのではないか。勉強に費やした時間だけ人間関係から逃げずに全力で努力した方がよかったのではと。

でも、そういう時期があったからこそ今の私がいるのではないかと思えるようになりました。

 

無駄な努力はありません。たとえ無駄に見えたとしても、それは経験として心に残ります。だから、とりあえず目の前にあることに全力で取り組んでみてください。

 

結局、私は成功したのか、ですか?

わかりません。現在進行形で足掻いていますので。でも、人と人との交流から逃げていた頃のかつての私と違い、多くの優しさを知っているので進んでいる道は間違っていないと思います。

相変わらず馬鹿やっていますけど。

 

傍から見て馬鹿でも自分が幸せならいいじゃない

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