前略 訪問者様(不定期日記)

 

「はるは生きているのか」と思う方はたまに見にきてやってください。

Twitter→https://twitter.com/suzukiharuko

 

2016.1.23

地域活動支援センターにも病院帰りに顔を出しています。アパートを借りたりとか、様々な制度を利用したりするときに手伝ってくれるそうです。現在は両親と兄と暮らしていますが、両親がいなくなったらグループホームで生活訓練をしてから一人暮らしをしようと思っています。兄に面倒をみてもらうのはどうかなと思っています。現在は独身ですが、あちこちに居場所をつくって、ちょくちょく外泊しています。それらを私のせいでやめさせる気はありません。母は病院か施設を探しています。でも、精神病患者を長期入院させるのではなく、自立させようという流れになっているのでなかなか難しいようです。

母が古いアパートを経営しているので、そこを処分してから貯金を切り崩していき、障害年金と生活保護を併用することになりそうです。兄は働いていますし、私は数字に弱くて帳簿をつけられませんし。母が私より長生きしてくれるといいんですけれどね。

 

2016.1.17

ご無沙汰しています。昨年の9月から就労移行支援事業所に通い、WORDExcelの勉強を中心にビジネスマナー、ペン習字、軽作業の訓練を受けています。勉強のほうは順調に進んでいるとスタッフさんにほめてもらっています。ただ、いきなり具合が悪くなり、1〜2週間休むというのがあるので、就職できる見込みはほとんどありません。

今月から環境整備の当番が始まりました。訓練が終わった後に掃除をします。これをきっかけに同じ当番の方と親しく話すことができるようになりました。学生時代に戻ったような感じです。

 

2015.5.10

ご無沙汰しています。もう読んでいる方々がいないでしょうから問題ないですね。自分用の覚書というところで。

捜査第二課元警部が自殺したニュースを読みました。書類作成を苦にしてとのこと。知能・金融担当の捜査書類は高レベルな知識と文章力が必要です。元課長が毎日のように怒鳴りまくっていたとのことで、掲示板などは元課長を批判する意見が大量に出ていました。戒告が甘いとか、自殺した警部のように書類をたくさんつくらせろとか。私は妥当な処分だと思いました。戒告という時点で将来が閉ざされたも当然ですし、書類作成はさくさくできると思います。退職していなかったら、今頃書類作成しまくっていると思います。

自殺した警部は気の毒ですが、管理職は現場に出て捜査するのが仕事ではなく、部下を指導し、書類作成についてもアドバイスをしなければいけない立場です。地検に書類を提出する際、稚拙だとつきかえされることもあるそうです。気に食わないと訂正印も認めてくれないとか非合理的な嫌がらせをされます。部署のトップに嫌味を言ったりとかあるそうです。国家公務員つながりですから。

お役所って本当に怖いです。

元課長のプロフィールと事件の概要

http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E6%B8%85%E9%87%8E%E9%9A%86%E8%A1%8C

 

2014.8.31

 こんなの読んでいるのは自分だけだよなと思いつつ、日記代わりに。

 地域生活支援センターに通って、センターにいる方々と話したりして生活リズムを整えるようにしています。昨年度末まで通っていた市のデイサービスよりもレベルが低めの社会復帰訓練になりますが、これもまともに通えていません。起きようと思っているのに目覚ましをビシバシ消して眠り続けてしまいます。母にはとりあえず通うだけでも運動になると言われています。自転車で25分くらいの距離を雨だと歩きで行くことになるので余計に行きたくなくなります。天気に関係なく出かけるのも訓練の一つだとわかっているのですが。

 いらっしゃる方々との会話については人によって話が続くか、続かないかが違います。話が続く方々が集まってくるとたいてい麻雀を始めます。麻雀は4人でするものだと思っていたのですが、2人いればできるらしいです。麻雀を覚えると話が広がりそうだなと麻雀の遊び方についてのサイトを見ています。「アカギ」とか「天」とかキャラ萌えだけでも楽しめますが、緊迫した空気の意味とかがわかりそうですしね。でも、未だに牌に数字・模様・文字などの違いがある程度のところでとまっています。少し読んで止まるを繰り返しています。麻雀を覚えるくらいの気力があったら仕事につながる資格を取りたいなという雑念が湧いてきて、資格のサイトを見始めたりしたり。下手に資格を取ったりすることを考えるより、コミュニケーションの手段としてゲームを覚えるという方向へ考えたほうがいいと思ったりもします。麻雀している方々って何だか頭がいい気がしますし。複雑なルールを覚えて、応用して…など。堀江貴文氏(元ライブドア社長)は小学校の頃から麻雀をしていて、大学時代も麻雀をしまくっていたらしいです。(「0ゼロ」より) 「ろじっくぱらだいす」のワタナベさんはたしなむ程度と謙遜しながら若い頃の日想では麻雀の話がしばしば出てきました。「ろじっくぱらだいす」といえば政府のホームページに危険ドラッグのマンガを福本伸行氏(「カイジ」、「アカギ」、「天」、「黒沢」などで有名な漫画家)が描くことになったのはワタナベさんの影響ではないかと思います。口コミの影響力が半端でありません。

 有名人の名前が出てきました。関連妄想について考えていて、インターネットでよく見ている有名人を知り合いのように思ってしまうというのがありました。そう言えばテレビでよく見るタレントを知人のように話している件についていくつか4コマ漫画で見ました。度が過ぎなければよくあることのようで。私の場合は度が過ぎるんですけれどね。

今まで見聞きした中で一番インパクトがあったのはサンリオ社長の辻信太郎氏です。株主総会後に行う社長の講演会を聞くためにサンリオ株を買ったという話が出たくらいに有名な方です。パニック状態に陥ったときに株を全部処分したあと、サンリオだけはとっておけばよかったかもと後悔しました。精神状態がひどいと金額的にも大損だし、手続きが難しいので株は買わないことにしましたけどね。話を戻して、サンリオ社長は株主総会の質応答の際に内容に合わせて参加者一人一人に目を合わせてきます。それは総会で突っ込む内容なんじゃないかなという質問にも堂々と答えていく姿はピューロランドのパレードのようなドラマッチックさがあります。そして、講演会へ。毎年同じような感じだよなと言っていた方がいましたが、その方は多分その後も毎年通い、そう言っているじゃないかと思います。

ちなみにそれ、株主総会に関係ないだろという質問は私も何回もしています。ごめんなさい。単に話してみたかっただけなんです。

 

2014.6.23

 インターネットで動画を見ていたら、有名人のセレブな交流を紹介していました。基本的には芸能人同士なのですが、大使とか大使夫人とか大手会社の社長とかとの交流がある芸能人の奥さまが出ていました。セレブの方々は10年近く家に引きこもっている社会的に無価値な人間を見張るような時間や余裕はないんだよねと改めて確認しています。(幸せ)

何となく自分の言動がいろいろな方々に見られている的なことが頭を離れませんでした。思いつくたびにそんな考えが出るほうがおかしいと思っていたので主治医に言った記憶がありません。でも、手続きのために書いてあった診断書に書かれていました。昨年末に入院先の主治医に見張られているような感じはどうですかといきなり聞かれたので通院している病院から入院先の病院への紹介状で書かれていたのかもしれません。デイサービスとか地域活動支援センターなど福祉畑の方々は普段は弱い立場で気兼ねして生きているであろう精神障害者に少しでもいい気分で過ごせるようと、気配りしてくれます。とてもありがたいのですが、誇大妄想と被害妄想を併せ持った感覚がある私はドキドキしてしまいます。

「ターミネーター2」で未来の英雄の母になる女性が前作の体験から「わけわからないことを口走り、暴れ出す」ので精神病院の隔離病棟に閉じ込められていたという描写がしっくりします。もっとも狂人扱いされても人類を滅亡させないために将来の英雄である息子を生きのびさせようとする女性と違って、そういう世界規模の心配は他の方々がしてくれるだろうからなるべく安らかな気持ちでいたい私とでは人間としての出来に大きい違いがあると思いますが。

私の暴走言動が原因でいろいろあった方々には許せるものではないでしょう。でも、私はインターネットを利用しているだけで凄まじいことができると過大評価されていることに当惑していました。パソコンに詳しくて様々なプログラムを組んでみたり、ハッキングして機密情報を引き出したりできるとか…。そんな技術があったら、就職活動の時点で別の仕事についていると思います。そういうことができるのはインターネットが一般的に使われる前のパソコン通信を利用するレベルの方々だと思うので。

誰も見ていないであろう放置されたサイトをひっそり更新したのは市の職員の方と地域活動支援センターの職員の方と話し合いがあり、なるようにしかならないので考えないでおこうとした将来についての話がでたからかもしれません。かつて誰もが見る可能性があるところでの罵詈雑言を書くのはよくないと言っておきながら、説明的に似た表現であれこれ書き散らしています。…2ちゃんねる、すたれましたね。たまに罵詈雑言を書き込むスレッドをお気に入りに入れているのですが、自分の書き込み以降の書き込みがないことが多いのに驚いています。しかもスレ落ちしていないですし。ツイッターやフェイスブックやラインなどのSNSの勢いに負けたというけれど、2ちゃんねるに罵詈雑言を書かずにいられる方々が増えたのに驚きます。

 

2014.5.26

 退院後、入院していた病院の薬を飲んでいた間はハイテンションでした。障害者枠で就職活動をしようと思ったくらいに。でも、通院先の薬になって起き上がれなくなりました。同じ処方なのに。薬の調整をしてもらい、何とか起き上がれるようになりました。ただ、起きられるのは昼過ぎなのです。今日は珍しく午前中に起き上がれました。その勢いで起きている状態をキープしています。

大手企業が運営するコミュニティサイトを利用することが多いからか、このサイトをインターネットエクスプローラーで見て「何、この用事を済ませるためだけにある倉庫みたいなサイト」と思いました。プロフィールに写真を載せることを批判的に書いているためか文字だけのサイトにこだわっていると言われたことがあります。画像を貼り付けるのに失敗した負け惜しみです。ちなみに今も画像がはれません。少しでも見やすくと枠に文章を入れていたのですが、それもコピーに失敗した挙句に消してしまいました。

2ちゃんねるが好きなのは基本的に文字でつくられているところだと思います。西村博之氏、入籍したとのこと。相手はどんな方なんでしょうね。

ニコニコ動画で対談企画が多く行われた頃、ひょうひょうとした雰囲気で優しく付き合い鋭い発言をするのを見ていました。ニコニコ生放送は起きていられないので、他の動画サイトに挙げられたものをパソコンの前にいられるときにチビチビと。議論ごっこが大好きな人間にはこういう方はありがたいだろうなと思いました。勝間和代さんみたいな方なのでしょうかね。

 

2014.2.14

 入院中のリハビリで自宅にいるはるです。病院のテレビで都知事選の結果をみて、残念だなと思いました。でも、ドクター・中松氏には「国民全員が堅苦しい政治をわかりやすくしてくれるように国会議員になってほしい」という気持ちがありました。今回の結果は国会議員選挙への礎だと思うことにします。

 今日はバレンタインデーです。高校時代のお祭り騒ぎを思い出します。どの教師がチョコレートをいくつもらったかを校内放送で中継していました。その気分を引きずり、著名な方々に手段を考えてチョコレートを贈った気持ちになるように楽しみました。相手側に思いっきり手間をかけそうだなと思いつつ。実物のチョコレートは劇薬物が含まれている危険性を考え、焼却処分されるだろうと思いつつ。

 今年はおとなしく贈った気持ちになりながら自分でチョコレートを食べようと思います。

多くの企業が損害賠償請求の裁判を起こし、被告側が全て不欠席で訴訟を起こした側が勝利。でも、資産を差し押さえることがとても難しく、どこかの企業がようやく講演会の講演会の収入を何とか差し押さえることができました。その手間暇の方が差し押さえられた講演会の収入よりも多いのではないかという神出鬼没な「西村博之氏(元2ちゃんねる管理人)」をみつけるのは障害年金暮らしの私には難しいと思うので。

 

2014.2.9

そうだ。選挙に行こう。(東京都民) 今回もまたドクター・中松氏に投票しました。「政界に笑いを」と思っていたのですが、選挙演説を動画で見たらとても真面目でしたが。

 

 新しいWORDにしてからうまく入力できず、放置し続けているのに未だにサイトが閉鎖されていませんでした。YAHOO、ありがとうございます。こんな機械音痴は普通ならとっくにブログに移転していますよね。実はブログに移転しようと思っていました。どうせなら画像を貼ってみたりしたいななどと欲を出したのが行けなかったのでしょうか。とりあえずお気に入りの漫画の表紙などを合法的に貼ろうとアマゾンの広告などを貼るところに申し込み。説明を見ながら何度も努力したのですが、うまく貼れませんでした。とりあえず掲示板・チャットなどを使えばいいやと放置していました。

ちなみに私は精神病の悪化により2013.12.3から入院。現在はリハビリで自宅に外泊しています。長年の投薬治療による様々な体調不調が治りつつあります。

インターネットでは既に同病の方々と交流していました。しかしながら、実際に会って交流するとやはり違いますね。都市伝説と思っていた恋愛経験が豊富な方々の話を聞いたり、リアルバトルを体験したり。念のため付け加えますとバトルは言葉のほうだけですから。

自分の娘でもおかしくない若い方と「2ちゃんねる」を巡り、リアルバトルをしたときに「私は永遠の中二病なのだな」と思いました。「食べ物板・買い物板・801板」を主に利用している私としては「すべてが荒れていると思わないでほしい」という気持ちがあるのですが。

私も「ネットウォッチ板」を初めて見たときは「2ちゃんねるって凄まじいな」と思いました。自分が2ちゃんねるを既に利用していると気づいたのは新しいスレに移るのに乗り遅れて新しいスレを探したときでした。…うん。機械音痴にも程があるよね。

 

2012.11.4

気づいたら一年半近くたっていました。

働いていた頃、肉体的にきつい仕事は女性を外すようになっていました。そのことで男性たちは「いいな」と女性に八つ当たりすることが多かったです。そういう仕事は男性でも改善する余地がかなりあると思えました。女性に八つ当たりしていないで改善案を出せばいいのにと思っていました。

ネットでも女性ばかり優遇されるといろいろ例をあげているのをよく見ます。レディースディーとか女性専用車両とか。

レディースディーは女性を優遇することで実際に使ってもらい、口コミで宣伝する効果を狙っていると思います。男性はあまり話題にしないような気がします。

女性専用列車は他の車両に乗るのは痴漢に遭うことを覚悟していると思われそうなので、不便だなと女性でも思っています。女性専用車両は乗換とか階段の位置に止まってくれませんし。私は加齢と治療薬の影響で全身をよく見れば痴漢する気になれないタイプです。でも、女性を吟味して近くに乗って…という痴漢ばかりではありません。痴漢と間違われないようにと男性専用車両をつくるというのはいいアイディアだと思います。

 

2011.3.31

 東北地方太平洋沖地震から3週間近くたとうとしています。しばらくはどのチャンネルも東北地方の被害状況を流していたのですが、普通の番組に戻りつつあります。現地の方々は未だ不自由な生活を送られている中申し訳ないのですが、うつ状態になる方々が続出しては日本の復興がますます遅くなりますからね。相互リンク先であるインターネット研究会Jの佐久間さんが現地で救助活動を行っているレポートを上げていました。(たくさんサイトを持たれていて有名なのは謎の巨大生物UMAのようです)

 テレビなどで報道されている悲惨な映像もかなり編集してあるか、救助活動・遺体回収作業が行われた後のように思えます。ナレーター・新聞で報道されている死者数を考えるとがれきの間に遺体がたくさんあってもおかしくないですからね。日刊毒舌ニュウスで編集作業を行っている方々が心身の不安を訴えるようになったというのもありましたね。

 佐久間さんの被災地での救助レポートを見るといつ自分が救助される側になるかわからないとご本人が書かれている厳しい状況のようです。あとネット上の友人の日記で被災地の知り合いの復興作業が難航している、がれきなどをどけていると遺体が出てきたりするからというのもありました。

 現地の方々や日本が立ち直るまでにどれくらいかかるのだろうと考えると気が遠くなります。スーパーマーケットにはほとんど商品がないそうです。

 

2010.12.10

 うつ状態が長引いたため、抗うつ剤がでました。不安がとまらなくて、母に愚痴りまくっていました。その不安が解消されることはありません。そのほかの時間をほとんどをふとんの中で過ごすという状態が続いています。うつ状態がひどすぎて改善しないといけないとは思います。でも、その薬でまた何様?というテンションの高さであれこれしていまい、生活を破たんさせるようなことをしないか不安です。

 

2010.7.29

 高揚する気持ちがおさまってきました。おそらく私の病気であろう統合失調感情障害は統合失調症とそううつ病が合わさった病気です。

 

去年もやたら楽観的になってあちこちに出かけたり、買い物をしまくりました。そのことを指摘されてから凹んでうつ状態になりました。買い物依存症を何とかしたいと調べていたら、そううつ病という病名に出くわしました。そう状態がまさに調子がいいと思っていた時の私のことを書いているかのようでした。私がただのうつ病とは違うのではないかと相談したら前の担当医は統合失調症が入っているかもと言いました。統合失調症についてもあてはまるような症状がいくつかあり、そううつ病とどちらがあてはまっているのだろうとインターネットで調べていたら、両方の症状が出る統合失調感情障害という病気に出くわしました。前の担当医は精神疾患は病名でなく、症状で薬を出していると言われました。でも、どちらも一生お付き合いしていく病気とわかったことはかなりショックでした。

 

今年に入って障害年金の手続きの際にいろいろなことがありました。傷病手当と併用すれば国民年金の掛け金が免除されるので診断書を書いてもらいたいと言ったのになかなか書いてくれなかったとか。障害年金の手続きが必要な際に薬の効き目が出ないものを処方され、心の中の凶暴性を抑えて必要な書類を揃えるのに苦労したりとか。

薬が1日分足りなかったのをきっかけに担当医を変えてほしいと言いました。前の担当医に感じていることは単なる被害妄想なのかもしれません。でも、被害妄想が入っている状態で素直に話すことができず…というのがあります。ただ、今の担当医はとても人気があり、混み合っているし、なるべく前の担当医に戻ってほしいような感じです。もう少し気持ちが落ち着いたら、考えようと思います。

 

 気分が高揚しているときは恋愛・結婚についてもできるのではないかと思いました。でも、高揚感がなくなってからは一生治らないであろう精神疾患を抱え、30代後半である私には砂上の城のような憧れるだけのものだと思うようになりました。病気を抱えていない方々でも婚活に苦労しているのに。

 

2010.7.9

大学時代に入っていたゼミの会報が届きました。退職後に「退職してから初めて会費を払う気になれました」と書いてから送金の用紙が届いていませんでした。今年は何故か入っていました。いろいろ悩んだのでが、振り込むことにしました。

靖国神社に行ってきました。何年かぶりです。売店でいろいろなものを買いました。

サンリオピューロランドに行きました。初めて乗り物に乗りました。いつもの習慣で停車位置近くになって立ち上がったら、「停止位置までは立ち上がらないで下さい」と言われました。幼いお子さまたちも多くいるところなので、安全性を重視しているのでしょう。帰りにサンリオピューロランドのお菓子を始め、地方で売っているお菓子・玄米茶などを買いました。

 

 といろいろ出かけられるようになりました。でも、決められた時間までに…という外出はまだまだ難関です。

 

2010.6.17

大変ご無沙汰しています。はるです。

新しいワードソフトにしてから更新が難しくなりました。幸い最初に見た「半年以上、更新がない場合は削除されることもあります」を心配して、見たところ削除されていないので放置していました。サイトばれしている状態では不自由な内容になるので。

メールで「好き勝手に自由に書けていいですね」という感想をいただいたことがあります。

とんでもありません。働いているときはちょっと荒れた更新のたびにお偉いさんたちの間でピリピリした雰囲気が漂っていました。ちょっとした愚痴に本気で心配して、対策を練っている会話も耳にしたことがあります。インターネット利用をしていればよくある内容なのですが…。

サイトで書いている内容は(え? あの程度?)という感じです。

初心者向けに書いたインターネット利用体験記をメールマガジンに投稿していました。スタート時の読者数は3万数千人くらいでしょうか。ほとんど反応がありませんでした。

サイトを持っているメル友さんにサイトはないのかと聞かれました。サイトはないけれどメールマガジンに投稿しているとその過去ログが載っているページを紹介しました。珍しく比較的良好な関係だったのが険悪な状態に…。

そのメールマガジンを発行しているメル友サイトの運営者を「ネナベ」(女性が男性の振りをすること)と勘違いしていました。当時は女性と名乗るとナンパの嵐。世間的に「年増」と言われる年齢でも…。

ちやほやされたい女性にとっては天国かもしれません。でも、会話を楽しみたい者にとっては迷惑。

チャットルームでは役立つ情報を話し合っていた方々は即座に移動します。私はそういう会話をしたいので「ネナベ」になっていました。

 

その男性と結婚したいと思っていたというのは嘘です。

 

実際に会った際にその地域はよくわからないからわかりやすい改札口などを待ち合わせ場所にしようと提案しても拒否されました。1時間ほど余裕を持って出発したのですが当然のように迷って、駅員・交番など何人にも聞きました。それでもたどり着けず、時間直前に連絡を入れました。どこにいると聞かれて、「現在、駅構内にいる」と答えました。何度か連絡を入れながら、駅員・交番で聞いてたどり着いたのは30分くらいたった後。

 

大体誰だかわかりましたが、とりあえず本当に本人かを確認するために「知り合った場所の名前とハンドルネーム」を名乗りました。その方はとても恥ずかしそうにしていました。オフ経験が少ないなと思いました。当時はそれがオフで会う時の常識ですから。

 

マスコミ等で「出会い系サイト」のトラブルが派手に騒がれていたのが原因だと思います。「出会い系」は男女の恋愛関係だけが出会いではありません。そういう内容が多いと言われているところでも仕事や趣味などの仲間の打ち合わせに使われていることもしばしばありました。当時はそういうコミュニティはほとんどなく、あっても過疎状態だったので。

 結果的にその方とはメル友でもなくなりました。サイトに何度もアクセスされて気持ち悪いと言われました。こちら側は電話等をするタイミングを見るためにアクセスしていたのですが。

 

サイトを持っている方々は日付などを変更することによって、現在は電話などの対応もできると知らせるのが暗黙の了解でした。

技術レベルが高い方々は更新されたことがわかるシステムを利用していました。現在、有名になっている「はてなアンテナ」みたいなものです。説明がすべて英語とかが多かったです。紹介されたことがありますが、どのような感情を持っているかは把握しきれません。技術レベルが低かったのでそれらの利用をすることを断わっていました。ブラクラ(ウイルス等や不快な映像を見せるなど利用する気がなくなるように仕向ける罠)に引っかかるとパソコンが使えなくなります。

 

話を戻します。投稿していたサイトのシステムだと過去ログが消えるので、とりあえずまとめて載せておいたのがこのサイトの始まりです。サイト運営の対応は伊藤寿男「マスコミに打ち勝つ法」テーミス社を参考にしています。

 

載せている話の内容でも実生活に影響が出そうなものについては書いても編集しています。ほかのコミュニティサイトで一時期紹介したことがあります。

 

日帰りで観光地に行った際にマスコミらしき方々に「ここは撮影するところだから勝手に入るな」と言われたことがあります。撮影中なら遠慮します。でも、どう見てもまだ撮影していないと思われます。「ご自由にご見学ください」の看板が立ったままの状態。

しばらくたって、その施設のお偉いさんが来て撮影に入りました。その際にそのお偉いさんは自ら「ご自由にご見学ください」の看板を運んで見えない場所に移しました。

 

 など様々な編集をしているにも関わらず、好き勝手なことを言われると腹が立ちます。運営方針として「表現するからにはどのような反応があっても受け入れます。ただ、それにたいしてどのよう反応をするかはこちら側の自由です」と書いています。

 

2009.7.21

 このところ、眠っている時間がとても長いはるです。まだまだ調子に波があるようです。…って何年この状態なのでしょうか。

 実はトップページがうまく更新できていません。今までと同じようにYahooのアップローダーを使っています。でも、何故か変な記号がついてしまい、見られない状態になっています。多分、チェックしている方はあまりいないだろうということで保守のためにログのほうだけ更新しておきます。

 調子がよかったころ、いろいろ通信販売を利用して、その支払いが8月に集中しています。よくもまぁ、こんなに買ったなとしみじみしています。元々、買い物依存症ではないかと買い物依存症関係の本をよく読んでいました。対策は…本を書いている方々自身が買い物依存症ですからねぇ。ただ、買うのをずっと我慢していると反動が大きいということだけは言えると思います。

 いろいろ洋服などを買ったのですが、太ってしまい、ほとんど着られません。若いころからの夢だった乙女チックな服もいろいろ買ったのに。とりあえず下着は新しいのを買うことにしました。外に着ていく服のほうは「サイズのよくはっきりしない服で適当にごまかす」という服がろくに買えなかった時代に買った服が何とか入りますので。体重の増減が激しいので、服が捨てられません。

 

2009.6.5

 このところ、調子がよく毎日のように外に出ています。

 

電話が苦手なのですが、先日退職された元課長さんにお電話することができました。仕事の話はしなかったのですが、かなりご活躍の模様。無理せず、長くお勤めいただくことを願っています。

 

 自立支援法の手続きをしに行きました。手続き上、審査基準が変わるかもしれないとのことで、今月の15日にまた訪れるようにと言われました。

そのついでに以前、勤めていた職場の給料・財形貯蓄等の振り込みをしていた信用金庫の残金を地元の信用金庫に移しました。この手続きはかなり気合が必要で、終わってからぐったりしました。こちらの最終手続きは今月の16日になるとのことです。

これ、まとめて16日で大丈夫かな? 電車で行かなければいけない上、駅から離れているのでかなり面倒です。

 

残金を入金した信用金庫の担当者さんが、かなり仕事ができるうえに人柄もよろしい方です。リスク配分のため一定金額を残して他銀行に移す手続きをする予定だったのですが、そのまま預けておこうかと思うようになりました。

 

2009.4.21

 大変ごぶさたしています。はるです。

 少しずつ起き上がっていられる時間が長くなってきています。基本的に通院以外は外に出ないという生活が続いています。ニュースとか小説とか雑誌に載るような情報はインターネットで見ることができますし。

外に出る機会をつくるために国民年金の掛け金納入は毎月郵便局で振り込むことにしています。あとは読んでいたシリーズものの本が出ると図書館にリクエストに行くとか。

 

今日、働いていた時にお世話になっていた課長(休暇届を出すときくらいしか縁がないほど偉い)から退職して再就職したという手紙が届きました。

働いていた当時は課長代理で分室にいた私たちの係のところに毎日きていました。課長代理がくると年配男性たちが元気になるので熱いお茶を入れて、なるべく長く部屋にとどまってくれるようにしていました。難しい割に地味な仕事なのでモチベーションを保つのが大変です。その作業が滞るとこちらの仕事に影響が出るのでささやかな努力をしていました。当初、同じ仕事をしていた女性たちには不評でした。でも、その効果が出始めると彼女たちも同じことをしました。

その後、組織編成があり、課長になりました。退職の手続きの際に職場に行ったときは改築して大きい部屋になっていました。

 

四十二年も働いて、あそこまで出世したというのはすごいなぁと思います。これからも元気にご活躍してください。

 

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2008.02〜2008.10