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はる様

 お久し振りです、{ハンドルネーム}です。お元気でしょうか。

こちらは「復活準備」に手間取っております。どうせなら、割と情報量の多い状態で公開したいからなのですが。

(ちなみにジャンルは、一般向けノンフィクション+その他です。ネット界言及というような題材はおそらく扱いません)

まだまだ先は長そうですが、宜しければ気長にお待ち下さい。

お久しぶりです。お元気でしたでしょうか。ホームページ、気長に待っています。


 さて、今回は以前のメールでの話題の再論にします。

 ・確か「メール1」で、ネットは万人に開かれた世界であり、それを前提にしてものを言うべきだ、みたいなことを書いていますね。
 で、今回は一見その逆に「万人に開かれた世界」を常に意識して行動するのは、確かに誰にとってもキツいし異様なことでもあるよな、という趣旨で書いてみます(笑)

 「webサイトは、誰でも何処からでも閲覧できる」というのが、インターネットの基本的性格なのでしょうが、情報発信・受信の原点に立ち戻って考えるならば、これは途方もないことです。あらゆる表現には、大なり小なりそれに接する前に「敷居」が存在し(たとえば本なら「価格」「発行部数」など)受け手はそれを乗り越えることによって主体的に「受け手としての責任」を受け入れるのですが、クリック一つでどんなサイトへも飛べるというのは、そうした言ってみれば『受け手の通過儀式』が原理的に存在しないということですからね。
 メジャー、マイナーなサイト(扱う題材、アクセス数のいずれの意味も含みます)の実際上の差は、もちろんあります。しかし、原理的にはあらゆるwebサイトはメジャーであり、マイナーであり得ません。貼られたリンク一つによって、どんな特殊な「閲覧者にとって敷居の高い」はずの情報でも、瞬時に不特定多数の閲覧者の目に触れ、環境を一変する可能性にさらされています。それが「誰でも何処からでも閲覧できる」の意味であり、普通使われるところの「リンクフリー」ということです。
 改めて本にたとえるなら、リンクを貼るという行為は、当該書物を他人に(肯定的、否定的評価を問わず)勧めると共に、無償でプレゼントすることでもあり、場合によってはその規模は数千、数万人に及ぶそう置き換えてみれば、ネットの桁違いの波及力にも具体的な想像力が働くと共に、これがweb以外ではあり得ない、実に異様なことであると気付くのではないでしょうか。
 (「異様」と言っても、別にネット悪玉論に組するつもりはありません。ただ感覚の違いを明確にしたかっただけです)

「万人に開かれた世界」を常に意識して言動というのは確かにキツイものがあります。ただ、どの程度のレベルで意識するかによりますね。

当サイトのメインテーマの一つである「自己防衛」も人によってそれぞれです。

私の場合は「悪意をもった方が見た時に『現実社会に結びつく被害を及ぼす恐れがない』の程度の自己防衛」を呼びかけているつもりです。でも、「警戒心が強すぎる」という方もいれば、「楽観的過ぎる」という方もいます。

 

リンクについては、私の場合は本にたとえるなら参考文献を並べてあるページのようなものだと思います。もっともネットの場合は手間がかからずに見ることができますけどね。

ちなみにネット上でもやはり敷居は存在すると思います。パスワードがなくは入れない会員制とか、技術的・心理的障壁があるものとか。


 おのおののサイトが発信する情報には、万人受けし易いものもあり、そうでないものもあります。アクセスに伴う閲覧者への応対能力も、オーナーさんによって千差万別です。
 しかもなお、いかなるサイトも常に不特定多数の視線にさらされる可能性があり、オーナーさん達は(場合によっては掲示板の投稿者等も)皆その覚悟を持って、それに相応しい表現を心がけねばならぬというのは、理屈上は全くの正論としても、正直キツいことだろうと思います。webもリアルと同じく、原理通りに動いているわけでは全くないせいで、普通はあまり深刻に考えずに済んでいるのですが。
 その観点からは「『斬鉄剣』言及の法則」でちょっと出てきた、会員制によるアクセス権の制限というのも、単に閉鎖的だと否定的に見るのでなく、一つの積極的な意味を持つ選択肢と考えるべきかもしれません。間口を狭める代わりに、相互理解の濃度が濃い交流が行われ得る、ということであれば。

私は最初から万人受けは無理だと思っています。人の考えは千差万別ですから。不特定多数が見ることを意識するのは自己防衛と明らかに社会規範に問題がありそうか、くらいです。

ただ、不特定多数が見る可能性があり、彼らが何かを感じ、反応する可能性があることだけは覚悟しなくてはいけないと思っています。その反応にどう反応するかは本人の自由だと思いますけど。

会員制によるアクセス制限はメル友サイトなど交流を目的としたホームページでは多いです。メーリングリストでもオーナーが登録する設定にして、仲間だけを登録、外部の新規募集はしないというところも結構あります。

私はそういうのもありだと思います。濃度の濃い交流ができるかは関係なく。個人的な交流に、公共性を求めるのもどうかと思いますし。

ただ、そこの輪から外れた部外者を攻撃すれば、攻撃されても無理はないと思います。


 いずれにせよ、大勢の「誰とも知れぬ誰か」を前にして、完璧に振る舞える人はいません。
 だからwebでは、情報取得時の敷居が原理的に存在しない代わりに、より強い寛容の精神が受け手に求められるのではないでしょうか。一方では、それを度外視して気ままに行動することも、容易であるにしても。

私は現実社会同様に他人の考え方は変えようがないので、自助努力するしかないと思っています。日々、試行錯誤の毎日ですが。


 ・次に「メール4」での、「表現の自由」とその法的規制に関する話題の追加を。
 具体的には、青少年有害社会環境対策基本法他のメディア規制法案のことですね。

 前回は態度保留と申しましたが、あれから法案の条文を読み、また起草者側と反対側の討論に目を通した結果として、この法案の成立には反対の立場を取ることにしました。確かにごく危うい内容である上に、国民の権利を制限し義務を課すという行為の重さを、起草者が全く自覚していないと思えたからです。しかもあわよくば強行採決に持ち込もうとしているとのことで、いよいよ不信せざるを得なくなりました。
 その上で反対運動側に注文したいのは、彼らと一般の情報の受け手の権利がどうリンクしているかについて、きちんと地に足の着いた説明を行うことです。でなければ、いくら「言論の自由は不可侵」と繰り返し、過激な言葉で立法者側を攻撃しても、それは単に彼ら自身の表現の権利を制限されたくないからだと受け取られてしまい、広範な支持を得られないおそれがありますので。
 以上が、現在の私の立場です。

 

私はこの件については中立です。

うまく運用できるならネット被害を減らすこともできると思うんですよ。明らかにヤバそうなサイトが法律に引っかからずに実害が出るまでそのままにならざるをえない場合もあるという話も聞きますし。(接続すると国際電話やダイヤルQ2に切り替わってしまうようなホームページをつくっていたところが、類似サイトを開いている場合とか)

ただ、前にも書いたとおりに、判断基準が難しいと思います。

 それでは、今回はこれで失礼致します。何か常にも増して、個人のメールっぽくない内容ですね(笑)
 この内容は、従来通り自由に使っていただいて結構です。
 乱筆乱文お許し下さい。

 いつも掲載してしまっているので意識しなくちゃいけないようにさせてしまっていますね。申し訳ありません。と言いつつ、しっかり掲載。


H14.4.10 {ハンドルネーム}
{メールアドレス}

P・S 「太腕繁盛記」の続編は如何でしょうか? 楽しみにしています。

 

 ごめんなさい。物語はあれで一応完結です。

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