安楽死を考える

 インターネットで昔からの巡回ルート以外を見ようと思うと自然とうつ病関係のところを回ることが多くなります。一人でないと思うと同時に治療が長期化することが多くなることがわかり、凹みます。治療の啓蒙パンフレットなどでは「必ず治ります」とあり、半年から1年くらいで治るケースを多く紹介しています。そういう方々は多分交流の場などにはこないのかもしれません。

 

 知識として知っていたのと実際に経験するのでは違うなぁということも多いです。

現代ではうつ病は必ず治ると言われています。でも、いつ治るかはわからないのが実情で、治療には様々な苦痛が伴います。

 

 薬の副作用。今の薬はあまり副作用がないと言われています。でも、眠気やめまいや吐き気や悪寒や耳鳴りなど、様々な不快な症状があります。体重も10キロ以上増えました。医者にいってもよくならないことがほとんどです。「副作用が起きやすいほうですね」などと言われ、「薬を変えましょう」と変えるとさらに新しい副作用が出ることもしばしば。

 

 自殺衝動。マイナス思考を積み重ね、死にたいと思うようになるというやつです。本などによると自殺行為に出て、自殺衝動とわかるような説明が多いようです。でも、うつ病についての記事が増えていて、知識として知っているためでしょうか。そういう思考が始まると自分で「もしかして自殺衝動というやつか」と自覚できます。そして、自殺行動にでないように対抗策を考えました。

 今のところ一番効き目があるのは

 「いかに効率よい自殺をするか検討する」

 その方法は死に至らないで、痛くて苦しいぞ。その方法だと遺体の処理とか大変そうだぞ。損害賠償で費用がかかるぞ。

 思考回路が鈍っているので決断できません。 ただ、自覚できるというのと、そういう思考をやめられるというのはまた別物で、苦しみ続けます。

 

 周囲の偏見との闘いもあります。

 「昔は生きるのに精一杯でうつ病になる余裕がなかった」「昔は生活に余裕がなかったのでうつ病はなかった。豊かな時代の現代病」

 うつ病にたいする知識が広がってきてもまだまだそういうことを口にする方々が多くいます。私も散々言われました。うつ病患者の交流の場でしばしば偏見と闘おうという方々に出くわします。私は「苦しんでいる人間に向かって平気で傷つくようなことを言うような方は根本的に無神経なので争っても無駄。ストレスを溜めないように避けたほうがいい」と主張しています。

 個人的には昔からうつ病はあったと思います。歴史の教科書に登場するような方々にもその個人を扱った本などを読むと(もしかして・・)と思う方々がかなりいます。ただ、歴史に名を残す一部の特権階級以外の方々はうつ病になることがすぐに死につながったのではないでしょうか。生きる気力を失い、動けなくなった時点で生き残れないので。統計上は餓死・病死などに分類されているのではないかと思います。

 

 「リストカットやアームカット、OD、自殺未遂の話をしているのを自慢気にしている。ホームページなどに写真などを載せているのは単に自慢したいだけで本当の病気ではない」

 メンタルヘルスを取り扱うホームページなどにたいしてしばしばこのような批判があります。

 私もそう思っていたのですが、経験してみてわかりました。世間的にはかなり異常なのかもしれないという認識はあります。でも、精神病を患っている人間としてはごく当たり前、健康な方でいえば「風邪引いて熱がでちゃった」などと同じような感覚なのです。写真を取って載せている方々は恐らく「今日はどこどこへでかけました」と写真を載せているようなものなのです。写真を撮る趣味がないので推測ですが。

 

何度も苦しみを繰り返すうちに思うようになりました。

病気だとわかって治療を続けるよりも、知らないままのほうが早く終わってラクだったのかもしれない。でも、初めてしまった以上、やめるのは難しいです。

 

 「安楽死というものがあったらいいのに」

 

 多くのうつ病患者のコミュニティで言われていることで、私もそう思うことがしばしばあります。

調べてみました。合法化されていませんが、尊厳死を扱う団体もあります。ただ、多くの論文等でうつ病の自殺衝動などをどう識別するかなどが問題点となっているくらいです。うつ病の人間が範囲になることはまずないようです。

 

治療する側としては「敗北」したようで屈辱的なのかも知れません。でも、打ち勝つことだけが幸せとは限らない。そんな気がするのですが。

 

うつ病の人間にも門戸が開かれるといいなと思います。問題点とされている部分は多くあります。「生き残ることを善」とする現代社会の価値観から外れているので、ほかの制度との調整とか。本当は生き残りたい人間が制度を悪用されて殺されないかとか。人を殺すという通常の人間として精神的苦痛を伴うことを誰が行うのかとか。

ただ、現時点で自殺している方々は残された方々に迷惑をかけてしまうことがほとんどです。電車を止めてしまうとか、他人を巻き込んでしまうとか、物件の価値を下げてしまうとか、遺体を処理する人間に精神的苦痛を与えるとか。

とりあえず自分で行う

なるべく苦痛が少なくてすむ方法

があるといいなぁと思います。

 

追記

 というようなことを書くとたいてい反論にあいます。特に生命に携わる仕事についている方々、医療関係者などの反発が激しいですね。私も健康なときは「そのときは恨まれたとしてもとにかく生き残らせるのが善」という価値観で生きていました。そういう信念がなくなると迷いが生じ、本来助かりたいはずの人間の救命にも影響がでそうです。

 

 周りの方々が悲しむという意見も多くあります。ただ、周囲の方々がいくら援助したとしても実際に病気等と闘うのは本人です。闘病に伴う苦痛の問題(本文参上)、治療中の医療・生活費用(先が読めないのでどうなるかわかりません)、治療後の生活の問題(就職が困難なのが現状です)。

本人が「逃げる」という選択をしてもいいのではないかと思います。すべての人間が納得する結論というのはまずないと思います。完全孤立している人間以外は周囲に影響をまったく与えないでできることはほとんどないのではないでしょうか。

ちなみに「今はともかく長引いたら生活はどうする」と病状によっては不安を煽り、自殺を招きかねない発言をして、「死ぬから問題ありません」と答えるとものすごい勢いで反発するのはとても矛盾していると思います。

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